新しいそうめんの製法は京へ先に入ったといわれますが、逆に天正の頃には大和三輪のそうめんが京でもてはやされるようになります。
こうして京や大和、河内、備前などで生産されたそうめんでしたが、江戸時代に入ると小麦の栽培地も増えると共に良質の小麦がたやすく買えるようになり生産地が増えます。
生産地が増えると産地同士の競争、あるいはそうめん師同士の競争が激しくなり、技術が上達して色雪のごとく細い極細の名品が生産されるようになります。
京都さかい町の井筒屋、大和の三輪、備州三原、奥州三春、伊予松山の製品が特に上出来であったといいます。
そうめん用の小麦はグルテン含有量の多い(粘りのある麦)讃岐、肥後、関東のものが良質でした。そのため江戸時代は産地にかかわりなく、上品質の小麦は関東と呼ばれました。
粉は4人がかりの石臼で挽き、精巧な絹の箱ぶるいでふるいました。極上の御膳そうめんの粉はひときわ目の細かいふるいでふるったものが使われました。
そうめん製造時に麺条に塗る油は主としてごま油かくるみ、かやの実を絞った油でした。綿実油、なたね油のほかにともし火油(えごまの油)も使われました。